2024年まちかど漫遊帖秋 商店街へ着物deおでかけ

今回のまちかど漫遊帖秋では、
お城下である高松の商店街を着物を着ておでかけ企画。

石清尾八幡宮の大祭の宵祭には、高松の商店街に山車やちょうさなどが出て、

華やかな祭りがある事を知っていました。


この企画は

春の漫遊帖終了後、すぐに企画会議で決定!!

ただ。。詳しい事は知らなかったので。。


わだもんは、夏の盆踊り真っ只中シーズンの7月に

「石清尾八幡宮」へ、取材をさせていただきました。

こちらが、今回大変お世話になりました 神職の香西邦彦氏です。
出来上がった「まちかど漫遊帖」をお届けした際 写真をお願いしました。

最初に「石清尾八幡宮の祭礼」について、取材をもとにお話しさせていただきました。

皆さん熱心に聞いていただきました。


石清尾八幡宮の祭礼の起源は仏式の放生会(ほうじょうえ)とされており、

松平頼重が初代藩主となった年から始まったと伝えられています。

1644年松平頼重が社殿の改修を行う
1666年2度目の造営が終わる。(八幡宮復興事業完成)


1666年に松平頼重それまでも、高松の氏神様であった石清尾八幡宮を、

高松松平家の氏神様と定められる。


これ以降代々の藩主は、初めてのお国入りなどの時、八幡宮へ参拝することが習わしとなります。

そして、それは。。。現代にもつづいています。


まさに、

高松松平藩のお殿様に向けてのお祭りだったのです



                          (写真提供:石清尾八幡宮)


昭和初期頃の写真です。この飾り船は、藩主を乗せて瀬戸内海を航行した、御座船を模したものでした。渡御行列に奉納される飾り船は、北浜材木町、鶴谷町、魚屋町、本町、井口町、東浜の6隻で、秋祭りのシーズンになると、飾り船の勇壮な太鼓の音が鳴り響き船飾りの豪華絢爛さは、石清尾八幡宮祭礼の花形になっていました。


昔は祭が近くなると町中も露店が出たり、お囃子が出たりと大賑わい、学校や仕事もまつりに合わせて休みになっていて、今より地域の人々と祭礼の結び月は強く待ちの暮らしに根付いた祭礼文化でありました。



しかし、戦争で多くの飾り船等を焼失して、お祀り自体も時代と共に衰退の一途をたどることになります。



1998年6月に正式に「八幡神交会」が発会。


2006年 第3土曜日の宵宮祭の日に「高松ふるさと祭り」
商店街でも、行列をするようになりました。


こちらが今日につながるお祭りになっています。

北濱ちょうさは、高松旧市内で一番古くて、一番大きな太鼓台で、

長さは11メートル、高さ3メートル、重さは1トンあります。


華やかな山車や、飾り船

獅子舞

丸亀町ドームには、たくさんの人たちが。。。



こちらが、2024年高松ふるさと祭り参加団体です。


気がつけば全員で集合写真を撮っていない事に気づき慌てて

最後の最後で写真撮影。
しかし。。。。後4名とは、一緒に撮れず💦  残念。。。すみませんでした💦


今回、まちかど漫遊帖秋を終えて。。。


2025年のまちかど漫遊帖秋
もう一度、この「石清尾八幡宮の秋の大祭」企画を考えています。

今年の経験を活かしてまた来年。。。

さらにいい企画をつくっていきたいと思っています。

来年も、「わだもん」をよろしくお願いします。

着物を普段着にしちゃおう!

『着物を普段着にしちゃおう!』をコンセプトに着物生活実施中! 和の文化の現在(いま)と未来につなぐ活動を10名のメンバーで讃岐を舞台に活動しています。

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